手書きの日記がめんどうになったので衝動的にブログを始めたら、手書きより気軽に長文が書けるので楽しい。
まあ、すぐ飽きるかもしれないけど。
ただずっとブログばっかり書いてるとそのうち枯れてしまうというか、書くことがなくなってしまいそうだなと思った。
この点については明確に危機感があって、インプットの時間を作るというか、意識的にパソコンから離れるタイミングを設定したほうがよさそう。
無気力人間だから仕事以外は基本的に家で寝ていてパソコンが近い距離にあるので難しいけど。カフェとか行ってなんかする習慣をつけたい。
ブロガーとして生計立てている人ってすごいなって思う。
次第に日々の生活とブログの境界があやふやになって、私なら気が狂っちゃう気がする。
YouTuberとかもそうなりやすそう。メンタルに悪そう。
その点芸能人なんかは結構オンオフがはっきりしてというか、管理が上手いなあとか思う。まあ忙しいだけなのかもしれない。
そういえば発達障害の特性もあるのか、私は目に見えないものは無いものと認識する癖がある。
なので作家がSNSでご飯食べた報告してたり、ミュージシャンが本読んだとかポストしてるのを見るとえ、この人も人間だったんだ!っていちいち驚く。
自分の中では本とか楽曲とかの成果物だけが現実なので、その向こうに作者がいることを想像しにくい。
あくまでも作品に興味があって、人間に興味がないというASDっぽい特性のせいかもしれない。
あとネットが広まって画面ばっかり見るようになったから余計にそうかもしれない。
いろんなところでいろんな人が言っているけれど、使い方には気をつけたい。
話は戻るけれど、ネット上に日記を公開しようと思ったのはどうしてか。
手書きがめんどうって理由だけなら非公開ブログでもいいはずで。
いろいろ考えていたのだけれど、たぶん南条あやと二階堂奥歯の影響が大きい。
10代の自分は完全に精神を病んでいて、早く人生を終わらせたいと思っていた。
それがちょうど我が家にパソコンがやって来たタイミングで、ネットの世界に没頭する中で先のふたりを知った(既にふたりとも故人だった)。
ふたりとも自ら命を絶ったのだけど、亡くなる前まで日記をネットに公開していた。
(南条あやは『卒業式まで死にません』、二階堂奥歯は『八本脚の蝶』としてともに書籍化されている)
特に二階堂奥歯が飛び降りる直前に書いたお別れという投稿はすごく美しくて、何度も読み返してしまうぐらい好きだ。
それで自分が消えてしまってもなお、自分の吐き出した言葉がネットの海を永遠に漂っているのってなんかいいなって憧れた。
それでも公開する以上は体裁を整えたりちゃんとした文章を書かなきゃと思って今までブログをやることに消極的だったけど、なんか別に格好つける必要もないな、と最近思い始めた。
昔より年をとって、少し鈍感に生きられるようになったのかもしれない。