一日一捨。5日目は2023年のスケジュール帳を捨てる。
2022年の年の暮れ、書店でこの文庫サイズのスケジュール帳を買った。
使う予定もないのに買って、結局なんにも書き込まないまま一年が過ぎた。
もともとスケジュール帳を必要とするほど、私の人生は忙しくない。
アルバイトは毎日同じことの繰り返しで、出張や会議があるわけでもない。
出勤予定はシフト表が紙でもらえるか、今ならスマホですぐ確認できる。
プライベートで旅行や人と会う約束もまったくないし、たまの通院はメモなんかしなくとも覚えておける。
浮世離れしているというか、社会と私のあいだにはなんかフィルターとか膜みたいなものがはられているのじゃないか、という気さえしてくる。
どうして私はこうなんだろうな、ってよく思う。
どこで間違えて、どうやったらもとの道に戻れるんだろうか。
それとも私の歩いてきた道は、最初から間違えてたのかもしれない。
そんな出口のないことを、ぐるぐる考えてしまう瞬間がある。
発達障害の特性のことを個性だと表現する人がいる。
個性だから気にしなくていい。個性を受け入れよう。
励ましや慰めのつもりで、悪気はないのかもしれない。
けれど私にはどうしてもそうは思えない。
個性という言葉で、なにが許されるのだろう。
私のせいで、両親はたくさん頭を下げた。
私のせいで、友達や恋人は嫌な思いをした。
私のせいで、しわ寄せを受ける職場の人がいる。
お互いさま、という言葉は互いに対等でなければいけないと思う。
私みたいに一方的に迷惑をかけている人間が、免罪符みたいに使ってはいけない。
生まれてきてはいけなかったとは思いたくはない。
けれどこんな先天的な脳の異常がなかったら、と考えない日はない。