銀色夏生のことを知ったのはSongbirdという曲がきっかけだった。
菅野よう子の曲を聴きあさっていた頃この曲に出会い、作詞は誰だろうと調べたら銀色夏生という人だった。
この時点ですでに彼女にはたくさんの著作があってなにから読めばいいのか迷ったのだけど、『やがて今も忘れ去られる』というタイトルがあまりにも好きで、この写真詩集を手に取った。
私たちは進みます、あなたの愛を背にうけて、ふりかえらずに進みます、あなたに愛を返すため。人生は限りなく続く荒野か、希望あふれる海原か、だれかを想うその胸に、やさしくひびく写真詩集。
(角川文庫HPより)
初めて読んだのはまだ10代の頃で、「やがて今も忘れ去られる」なんてとても思えないほど毎日が濃くて苦しかった。
恋愛にまつわる詩が多いなというのが第一印象で、当時の私にはあまり響かない言葉も多かったように思う。
けれど改めて読み直してみると、銀色夏生の紡ぐ言葉の普遍性が、私を少しだけ励ましてくれた。
悪い冗談を言える人は
当事者ではないんだよ
(角川文庫『やがて今も忘れ去られる』p.24)
僕らは絶対変わらない
僕らは絶対別れないと
言い切ることばの強さの悲しさ
(角川文庫『やがて今も忘れ去られる』p.56)
どうして今になってこの本のことを思い出したのか自分でも分からないけれど、たぶん私も大人になったのだと思う。
私が持っている文庫版の帯には小西真奈美の推薦文が載っていて、「どうしようもない感情に、名前をつけてくれる。言葉達に、心が救われる。」とある。
ほんとうにその通りだと思えるほど、私も年を重ねて人との関わりを深めるなかでたくさんの感情を知ったのだ。
あの頃ほとんど共感できなかった詩たちに、自分には関係ないと思っていた言葉たちに、今は小さく救われている。
こういう本の読み方があることを、これまで知らなかった。
文章なんてただの情報でしかなくて、一度読んでしまえば済んでしまうものなのだと信じて疑っていなかった。
変わらないものなんてほんとうにないのかもしれない。
それから写真も美しい。
いわゆるインスタ映えするような刺激的な写真ではないかもしれない。
けれど日常のふとした場面や、少しだけ足をのばした先に住んでいるかもしれない誰かが見ている風景を切り取ったような一枚一枚からは、ふしぎと懐かしさや安らぎを感じる。
時間はすぎて
どんどんすぎて
どれもがどうにかなっていき
やがてそれも忘れ去られる
やがて今も 忘れ去られる
(角川文庫『やがて今も忘れ去られる』p.65)
なにかを忘れるというとしばしばネガティブな文脈で使われがちだけれど、人間が生きていくうえでとても大切なこと。
もしなにもかもすべてを覚えていたら、私たちは傷つきすぎてとても無事ではいられない。
ここに書かれているのはきっと諦めでも慰めでもない。
ただ遠い夜空に輝いている、見上げさえすればいつだってそこにあるポラリスの光のような本なのだと思った。