生活を泳ぐ。(🍉)

ADHDとASDと希死念慮。生きるを諦めません。

読書の呪い。

私は本(小説)を読むのが好きじゃない、という事実を受け入れようと思う。

子どもの頃からずっと本を読むのが好きだと思い込んで生きてきたけれど、どうやら実際にはそうじゃなかったみたいだ。

正直まだ納得できていない、気持ちの整理がついていない。

けれど私は物語を読むのが好きじゃないみたいだ。

 

小学生低学年の頃はよく本を読んでいた。

現代文の教科書も大好きだったし、図書館にもよく行っていた。

家にある絵本とか、親に買い与えられた小説とか雑誌とかも読んでいたと思う。

そういう体験があったから、私は読書が好きなのだと思っていた。

けれどよく考えると小学校中学年くらいからほとんど本を読まなくなった。

中高のときは朝の読書時間が設けられていたけど本を開いているだけでほとんど読めていなかったし、そもそも学校を休みがちだった。

考えてみればRPGでもストーリーをろくに読まず、ただレベル上げやボス攻略が楽しんでいただけだった。

私はたぶん、きちんと頭を使って考えることが苦手だ。端的に言うと、馬鹿なのだと思う。

 

正直に言えば薄々気づいていた。

私は頭が悪くて、本を読むのが好きじゃないこと。

けれど家庭内でのプレッシャーと自分のなけなしのプライドで、ずっとそれを認められないまま生きてきた。

両親から成績優秀で読書好きな聡い子どもであるように要求され続けて、私はそのように振る舞い続けるしかなかった。

実際にはそうじゃなかったのに。

 

それで両親と縁を切った今でも、本を読まなくてはと無意識に考えて精神的負担になっていた。

今は狭い安アパートでの一人暮らしだけれど、それでも本が100冊くらいはある。読まなければと思って買ってしまうのだ。

実家の自分の個室にはもっとたくさんの本があるし、父の書斎はまるで書庫みたいに広くて棚がたくさんあった。

そういう環境で育ったせいで、私はずっと本を読めない自分には価値がないと思って苦しんできた。

けれどもう分かってしまった。私には本は読めない。

私は自分で考えるほどの頭がない。

 

発達障害の診断を受けるときにWAIS-Ⅲという知能検査をした。

総合IQが100を超えていた(真ん中がちょうど100)せいで、自分が馬鹿じゃないのだと信じてしまった。

けど実際のところどうだろう。

本を読んでもなにも感じない。頭に入らない。まともな感想も言えない。これでほんとうに頭がいいのか。

休みの日は本を読むよりもスマホを触ったり眠ったりを優先してしまう。

気づけば1ヶ月なにも読まずに終わることもよくある。

 

読書好きであらねばならないという子どもの頃からの呪いと、実は私は本が読めないのだという現実に挟まれて苦しい。

苦しいから、もう事実を受け入れようと思う。

無理に本を読もうとしなくていいし、家に散乱してる本はさっぱり売ってしまうのもいいのかもな。

あとで後悔するだろうか。分からないけどもう疲れた。

 

私はなにも好きじゃない。

ただ外部からの強要に応えようとしてきただけだったのだ。