冷静になればなるほど、死にたい気がしてくる。
特に理由はない。もちろん自分の人生は不満だらけだし欲を言えばキリはないけれど、過去に抱いていたなにがなんでも死にたいみたいな強い感情はもうない。だけどシンプルに生きてる意味が分からないし、意味なんてなくてもいいのかもしれないけど、なにをやっても楽しいと思えないからずーっとしんどい。
なんだろう、どんどん冷めていく湯船から抜け出せないみたいな人生。もうとっくに水になってるのに、お風呂から出られないみたいな。
早くあがりたいよ。希死念慮と闘うことに疲れた。
もしも、いつか生きててよかったと思えるようになったとして。
そう思えるようになるまでにかかった数十年、ほんとうに無駄な時間だよなと思う。
健康な人がどんどん有意義なことに時間を割いてるのを横目に、良くなったり悪くなったりを繰り返しながらただマイナスをゼロに戻す作業を必死でやってる。なにも積み上げてないし、なにも生み出せてない。ただ生きるということができるようになっただけ。やっとスタートラインに立てたときには、体だけ大人になっている。心は赤ちゃんみたいなもんなのに。
希死念慮に蝕まれてメンクリ通いしていた期間を人生から免除してほしいと、本気で思っている。たとえば希死念慮に蝕まれてメンクリ通いに10年費やした20歳と、部活や勉強に青春を費やした20歳ではまったく違う。「同じ長さの時間を過ごしてきた」という評価さえされたくない。このケースだったら前者はひたすら無駄だった10年を差し引いて10歳として扱ってほしい。そういうことを本気で思っている。
でも、もし自分のメンタルが健康だったとして、全然違う人生になってなにかを成し遂げられていたか?って聞かれるとそれは微妙ではある。怠惰な人間といつ根っこの部分は変わらないからね。
まあそれはそれとして。無駄な時間を過ごしていることが嫌だなと思うし、無駄な時間を過ごしていることを誰かに分かってほしい。
それでもやっぱり自分が甘えてるだけなのかもなって思う。著名人でもブログやSNSでもメンタルに問題抱えてる人はいっぱいいて、それでも皆ちゃんと生活しているわけで。
好きなことがない、なにも楽しくない、動けない、働けない、食事ができない、薬もちゃんと飲めない、ってなにかと理由つけてやろうとしてないのは私の弱さでしかない。みんな同じように大変な思いしてて、それでも前向きに生きてる。
私はメンクリ通いを言い訳に、なにもかもから逃れようとする浅はかな人間なんだろうな。
だとしたら余計に生きている価値がないので、死ぬべきなのかもしれない。
痛いの嫌だなあ。こわいなあ。安らかに逝けるならすぐにでもと思うんだけど。