捨て活を続けて、ものを捨てる癖がついてきた。
いるもの・いらないものという考え方の軸みたいなのができて、これまでなら捨てるのが面倒だからと放置してたのをちゃんと処理するようになったし、なにか欲しいものがあっても1ヶ月先のことを想像してほんとうに必要かどうかよく考えるようになってきた。
どうせ死ぬんだから、荷物は少なくシンプルに。そうやって私の部屋から人生から、少しずつものが消えていく。
ほんとうにそれでいいのだろうか、とぐるぐる考えることがある。ものを捨てる、その積み重ねが私の考え方を歪ませてはいないか。何度も考えるけれど、正直よく分からない。なにがよくてなにが悪いのか、私には分からない。
捨て活を始めてから、物質だけでなく心の面でも「なにも持たない」ことを選ぶようになってきた気がしている。よく言えば無欲。悪く言えば無気力。
ようするに、以前より経験にお金をかけなくなった。好きだったはずの読書や映画や音楽鑑賞、おいしい食事、気になる場所へ行くこと。生活からそういうものが削ぎ落とされて、私はときどき灰色の世界に迷い込んだような気持ちになる。
慣れないりんごの皮むきをしてみたら実を削りすぎて食べるところがなくなっちゃった、みたいな感じ。
そしてなにもしなくなってから、一日がやたらと長い。退屈に思う。だからと言ってなにかをやろうという気にもなれない。眠る前にブログを書く以外は。
捨て活のせいじゃなくて、ただのうつなんだろうか。それともこれが標準的な人間の生活なんだろうか。なんか違う気がする。もっと心の豊かさみたいなものが、以前の生活にはあったような。
そういえばインチュニブを飲み始めてから脳内がほんとうに静かになった。もともとこのブログは発達障害のことをメインに書こうと思って立ち上げたのに、インチュニブのおかげ(あるいはせい)で発達障害由来の困りごとが激減してあまり書くことがなくなった。
話は戻るけれど。私の人生に必要なものはなんなのだろう。必要ってなんだろう。この調子だとそのうちすべての活動が不要に思えてきて生きるのをやめてしまわないだろうか。
まあそれもいいのかもしれない。どうせ私は自力で生きていく力のない個体だから。でもこうやって不安になるということは、やっぱり本能的に死ぬことはこわいと思っているんだろうな。
私はこれからどうなっていくんだろう。いるものだけを突き詰めたその先に、私の居場所ってあるんだろうか。