なんとなく少し意欲が出てきて本を手に取るも、ページを開いた瞬間になんだかしんどくなってしまい断念。やっぱり本を読むのは難しい。
なにがいけないんだろうか。私は世界に、人間に、こんなにも興味がなかっただろうか。
そんなことないつもりである。もともと私は人間が好きで、だから人間観察をしたり、知らない感情や経験を知るために小説を読んだりしていたはずで。
ただ、ほんとうの興味じゃないのかなって思うことはときどきある。処世術というか。相手のことなんかどうでもいいんだけど、社会生活を送るうえでそれなりに人間関係を築いておいたほうが便利だから。心からの「知りたい」「仲良くなりたい」じゃなくて、うまくやっていくために相手から情報を引き出すような感覚とでもいうのかな。だからたまに自分のことをロボットみたいだなって思う。
あとそうやって人と関わってきたなかで思ったのは、人間って大して相手の話を聞いてないし、覚えてもないってこと。
なにを目的にするか、という違いもあるのかもしれない。特に女性だと雑談すること自体がコミュニケーションだったりするので、内容はさして重要じゃないらしい。実際うちの職場のお姉さまがたは毎日飽きもせず同じ話ばっかりしている(もしも「前にもその話聞きましたよ」なんて言おうもんなら一瞬で空気読めない認定されるんだろうなと思う)。
私はそうじゃなくて、情報を引き出す感覚で話しているから、すべての話をわりと真剣に聞いてるし比較的覚えている。だから余計に人と話すのが疲れるのかもしれない。
なんだか話が逸れてきた。
とにかく本は読めなかった。読書好きでいることを諦めてしばらく経つけど、まだ私の中にある「本を読むことは高尚な行為である」という呪いが解けきってないみたいでしんどい。
本を読まなくても、世界に、人間に興味を持たなくてもなんの問題もなく生活できている。けど、ふとしたときに本を読まないことの罪悪感で苦しくなる。子どものころ、漫画を読んでいたら激昂した父に目の前で漫画を燃やされたことを思い出してしまう。母に買い与えられた本を読まずにいたら、本の角で殴られたことも。
私の読書への執着も、人間への興味も、環境によって作られただけの紛い物だったのかなあ。ほんとうは、最初からなんにもしたくなかった、知りたくなかったのかもしれない。