生活を泳ぐ。

ADHDとかASDとか。人生はフィクションです。

人間に近づいた

普通になりたい。

これは発達障害を抱える人には結構あるあるな願望だと思う。

他人になったことがないので実際のところ普通ってどんな感じなのか分からないのだけど、どうやら自分が社会になじめてないっぽいことは、私は人生の早い段階で気づいていた。

 

あくまでも自分の場合だけど、ADHDで困っていたかと言うと、そうでもない。

もちろんモノは失くすし遅刻はするし注意力散漫で、学生時代は出された課題をひとつも完成させられずドロップアウトした。

けれど根がポジティブというか楽天的なので、全部まあいっか、って感じだった。

もっと強烈で漠然とした希死念慮の前に、日々の生活の具体的で些末なやらかしは霞んでいただけなのかもしれない。

それから自分はワーキングメモリが最も高いタイプのADHDだったからマルチタスクが苦にならなかったのも大きい。

ASD特性として相互的な社会関係の質的障害ってのも持ってたけど、小説やドラマの登場人物とか実際の経験とかでコミュニケーションのパターンを覚えておけば、表面上はそんなに違和感なく振る舞えた。

職場ならまず仕事を真面目にこなしておけばギリギリ許されるし、プライベートでは友達が本当に一人もいないけれど独りが好きなので問題なかった。

 

じゃあ何が困っていたかというと、普通になれないことだった。

普通というか、社会は多数派に都合がいいようにデザインされてるっぽいから、発達障害に由来する特性によって社会になじめないことが個人的には一番しんどかった。

たとえば聴覚過敏。耳栓なしでは外を歩けない。

あとは感覚過敏のせいで着られる服は限られ(そもそも服を着るのが嫌い)、化粧も肌に乗ってる感じが無理で極力しないので、他人から私はかなりだらしない人だと思われている可能性が高い。

脳内多動で疲れやすいから睡眠時間がめちゃくちゃ必要。でも生活してたらいつまでも寝てるわけにはいかない。

ほかにもいろいろあるけれど、こんな感じで自分の体の都合が現代社会にフィットしない状況が私の困り感のメインだった。

 

それでかなり疲弊してしまって、先日ついに投薬治療を始めた。

学生時代に一度ストラテラを試したものの効果がなく、薬価も高いので投薬はしばらくやめていたのだけど、柴崎友香の『あらゆることは今起こる』を読んで、やっぱり薬飲んでみようって思った。

結果、インチュニブがめちゃくちゃ効いた。飲む前と後では明確に感覚が違う。

聴覚過敏が軽減されて、脳内多動が減って空っぽの時間ができた。眠りすぎることもなくなったし、寝覚めがいい。

これが普通の人間なんだ、ってめちゃくちゃ驚いた。他人になったことないから知らんけど。

もちろん困りごとが完全に解消されたわけではないけれど、かなり人間に近づいたんじゃないだろうかと思う。

同時にやっぱり私がらくただったじゃんって思ったのと、薬ひとつでこんなに変化があるのなら、今までの苦しみって何?っていう気持ちにはなった。

デメリットは薬価が高いのと酒が飲めないこと。

あとはこの薬って生涯飲み続けないといけないのかどうか、気になる。

その辺はまた先生に聞いてみたい。

 

とりあえず自分の場合は薬を飲んでよかったことの方が多い。

なんかよく分からないけどこれで助かった、って感覚になった。