一日一捨。6日目はカミソリを捨てる。
「貝印のカミソリが一番よく切れるんだよね」
彼女が何気なくつぶやいたその一言を、私はずっと覚えていた。
一番よく切れる。なにが? 手首だった。
かつて彼女と私は同志だった、と思う。
顔も名前も声も知らない、友達と呼ぶほど親しくないけれど、伸びた影の先で細く、でもたしかに繋がっているみたいなネット上の知り合い。
希死念慮と闘う私たちは互いの傷をなめ合うようにして、よく夜のふちで他愛のない話をした。
彼女は魅力的だった。少なくとも私にはそう見えた。
朗らかで聡明で、いつだって周囲への気遣いを欠かさない人だった。
それゆえなのか、彼女の抱える闇はあまりにも濃くて深いらしかった。自分の抱えている苦しみがちっぽけに思えるほどに。
彼女は毎日たくさん泣いて、たくさん薬を飲んで、たくさん自分を傷つけていた。
私は彼女がうらやましかった。
この人はいつかほんとうに死んでしまうだろうな、と思っていた。そして自分はきっとそうじゃないことも心の底で分かっていた。
私には不幸が足りないから、タナトスに愛されないのだろうか。
もっとひどい目に遭わなければ。本気にならなければ。
振り返ってみれば私もじゅうぶん病んでいたのだと思う。
望んでなんていないのに、切りたくもないのにカミソリを買って、切った。
手首に薄い線が引かれて、浅い傷口から小さく丸く血がふくらんだ。
でもそれだけだった。にぶい痛みがしばらく続いて、すぐに線は消えた。
ああやっぱり私は彼女にはなれないのだ、と落胆した。
それ以降カミソリを使うことはなかった。
しばらくして彼女のSNSの更新が止まり、二度と再開されることはなかった。
亡くなったのか、すっぱりやめただけかのか、真相は分からない。
けれど、幸せだったらいいなと思う。そして私も、私の幸せを探さなければいけない。