子どものころ両親から愛されなかった、という心残りがずっとある。
環境だけで見れば恵まれた家庭だったと思う。
実家は田舎で不便だったけれどそのぶん土地が広くて自分の部屋も与えられていたし、そこそこ裕福で大学まで私立になんの不自由もなく通わせてもらえた。
けれどやっぱり愛されていなかったと思ってしまう。
ずっと両親の言いなりで、私の意向は一切聞いてもらえず習いごとや進学先は勝手に決められてしまった。
欲しいものを買ってもらったこともないし、誕生日を祝われた記憶もない。
小学校の宿題かなにかで自分の名前の由来を両親に尋ねたことがあったけど、「特に意味はない、その場で思いついた名前をつけた」「お兄ちゃんがひとりっ子だと寂しいからお前を産んだだけ」と言われたのを今でも忘れられない。
私は模試の成績だけで評価され、数字が悪いと怒鳴られて殴られた。
父はアル中だったので夜になるとよく暴れていて、包丁が飛んでくることもあった。
兄は成績優秀だったから狙われるのは私ばかりだった。
両親から○ねと言われてその通りにしようとしたら救急車を呼ばれて、しばらく入院を経て家に帰ると「親に恥をかかせるな」とまた殴られた。
こうして書いていても苦しかったことばかりが思い出されて、愛されなかったという気持ちが強い。
大人になって和解できればよかったけど、両親からは謝罪のひとつもしてもらえず、お前が悪かったから仕方がないとまた責められた。
残念だけれど分かり合うことはできないと悟って、縁を切った。
自分の心を守るためにはそうするしかなかった。
こういう不健全な家庭環境で育った人間はアダルトチルドレン(AC)と呼ぶことがあるそうだ。
この言葉自体は前から知っていて、自分の生きづらさの中心にはACの問題があることはずっと分かっていた。
けれど問題を無視したままでもギリギリ生きてはいけているし、原因が自分の外部(機能不全家族)にあるのに被害者側の自分(こういう意識は良くないのかもしれないけど)がなんとかしなきゃいけない現実に納得できないし、自分と過去のつらい記憶と向き合うのはしんどくてつらい。
それでずっとACの問題と向き合うとこから逃げていたのだけど、近頃は少し気力も出てきたし、そろそろどうにかしたいと思い始めた。
一般的にはカウンセリングや自助グループへ参加して、自分の気持ちを整理するのがいいらしい。
けどカウンセリングは保険適用外で経済的に難しい。合う合わないがあるので長期戦を覚悟しなきゃいけないのもつらい。
自助グループは都会でしか開催されていないし、開催日の都合が合わない。無理して足を伸ばせば行けないこともないけれど、社交不安障害を持っているのでちょっとこわい。
まあ子ども時代20年かけて形成された歪みがそう簡単に正せるわけもないのだけど、私がこの問題に向き合ってるあいだにほかの人は普通の生活を積み上げているのだから悔しい。
無駄な人生を送っている。無意味な人生だとしか思えない。
話が逸れたけれど、そんな感じでカウンセリングも自助会への参加も難しそうだから、本でも買って家で作業しようかなと思う。
いろんな本が出ていてどれも2,000円くらいするので迷うし、今すでに人生がつらいのにさらにお金取られるのか……と思ってしまう複雑な気持ちではある。
けどもうその辺はなるべく諦めて、今後の人生を平穏に過ごせる方向に向かっていきたい。