一日一捨。8日目はスパイラルリングノートを捨てる。
「北国シロクマノート」というかわいらしい名前のついた無地のノート。
大好きなノートのシリーズだったものの残念ながら今はもう廃番。
同じメーカーから似たようなものは出てるのだけれど。
このノートには映画の感想を書き留めていた。
一番最初の日付は2013年4月10日で、見たのは1952年の仏映画「禁じられた遊び」とある。
それからだいたい週1回のペースで、「大人は判ってくれない」「俺たちに明日はない」「エデンの東」「モダン・タイムス」「怒りの葡萄」「博士の異常な愛情」「イヴの総て」etc.と、だいぶ古い映画をいろいろと見ていたらしい。
感想もそこそこ長文で書かれているのだけど、まったく覚えてない。
笑えるほどなんにも覚えていないのだ。
私は自分が賢くないことに強い劣等感を持っている。
人生の早い段階でメンタルを病んでしまったせいできちんと学校に通えず、勉強もろくにできなかった。
それがずっとコンプレックスとして心の深いところに残っている(今もそうだ)。
それで当時の私はろくに興味もない小難しい映画を見ては、少し賢くなったつもりになっていたのだと思う。
子どもだった私は、賢くない自分には価値がないから、両親から暴力を受けても仕方ないのだと思っていた。
私が愛されないのは出来損ないだからだと本気で思っていた。
そのせいなのか分からないけれど、このノートは後半に向かうと謝罪の言葉ばかりになっていく。
映画の感想を書いていたはずなのに、いつからか日記になり、誰かに読まれるわけでもないのにごめんなさい、ごめんなさいとひたすら謝っている。
文字もどんどん乱れて、最後のほうはただ試し書きみたいな線がぐちゃぐちゃとたくさん引かれているだけだった。
いくらなんでもおかしい。あんまりにも悲しい。
部屋を整理していてこのノートを見つけたときはショックだった。
さっさと捨てて忘れてしまいたかったのだけど、内容が個人的すぎるからそのまま捨てるのはちょっと躊躇われた。
今はシュレッダーを買ったのでもう大丈夫。
苦しかった過去のことを振り返るのはあまり好きじゃない。
あれこれ考えたところでどうにもならないから。
ただし両親には一度でいいから謝ってもらいたかったとは思う。
けれどきっと今後も叶わないから、その感情はこのノートと一緒に捨ててしまう。